「1リットルの涙」原作本についての私見のようなもの

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4344406109/qid=1132152726/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/250-6564486-9279440

思ったことをいろいろ書きます。

もうこの歳まで来ると、「人生とは何だろう?」と考えることはほとんどなくなった。順調に行ったようで堕落の道を突っ走り、結局見えてきたのは、人生は「ジジイになって縁側に座って緑茶をすすりながら『いい人生だったなぁ。』と思うために生きなければならない」ということだった。死の直前に悔いを残さないこと、といってもいいかもしれない。だからボクはいろんなことを経験したいと思っている。
ところで「ノルウェイの森」にある「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」という一節もまた自分にとって大事なフレーズである。最初は禅問答みたいでよく訳が判らなかったけど、結局生は死よりえらいということで一応の解決を見た。やっぱり生きなければいけないのだ。
1リットルの涙」を読みながら、「二十歳の原点 (新潮文庫)」のことを想った。結果だけを見れば対極的なんだけど、書いてあることはどちらも一生懸命生きようとする生への希求だった。高野さんは鉄道自殺、木藤さんは病死でいずれも20歳ちょっとで亡くなってしまったけど。
ただ木藤さんはものすごく明るい。いろいろ考えながら周りと自分が幸せになるように行動を取っている。でも病気がだんだんと木藤さんを苦しめていく。それでもがんばっていきようとする姿は賞賛するしかなかった。これから人生でつらいことがあったら読むかもしれない。

「人が病気で死ぬ話が面白いのか?」と訊かれた。死に対して面白いという表現は不適切だけど、興味があるから仕方がない。
だんだん死んでいく、ということはその分生きようとして生を見つめることとなる。その生きざまをみて、自分の生を見つめ直したいのではないかなぁ。これによって人々の明日からの人生にプラスの作用があれば、それは悪くないことだと思うのだ。

久々に死生観について考えてしまった。