竹内結子の死と、ボクのまとまらない感情

お久しぶりです。ここでは竹内結子さんについて書く機会が何回かあったので、何か書くにはこの場が適切ではないかと思いました。

 

最初は数ある訃報(それにしても、最近多過ぎる気はする)の1つかと思った。グリーンチャンネルを観ながら、馬券を買う一方で、記事等を追いかけてた。代表作に「ウルルン滞在記」と書いてあったのを見つけて、もちろん冗談なのだろうが、これはこれで外せない。

この人を見るたびに感じていたのは「凛とした力強さ」のようなもので、無邪気な笑顔のように見えても裏に知性のようなものが感じられた。だから、すごく好きだった。その凛とした力強さがポッキリ折れてしまったことが、残念でならない。とにかく生きててほしかった。自分もみんなもなんとかして頑張っているのに。「明日目覚めないでそのまま死んでないかなぁ」と何回思いながら眠ったことか。

人々(てゆーか自分)はなんとか生きようと思いながら芸術に触れようとする。音楽、映画、文学、美術。作る方も頑張って生きて表現しようと思って生み出していると思う。

でも、自分で死んだら、その人の作品の価値が激減しまうと思う。一生懸命生きようとして、結果が「自分で死ぬしかありませんでした」ではどうかと思う。芥川さんはぼんやりした不安があったのかもしれないし、太宰さんは愛人に無理やり連れていかれたのかもしれないし、三島さんは腹を立てていたのかもしれないし、川端さんは三島さんに呼ばれただけかもしれないけど、もうちょっと足掻いてもらいたかった。ヘミングウェイはまだ未読。同じ世代ならぼろぼろになるまで生き抜いたフィッツジェラルド

ノルウェイの森」の直子さんもやっぱりずっと悩んでて、「僕」は理解しようとしたのだけど、結局直子さんを助けられなかった。感想としては「うーん、どうしようもなかったのかなぁ」なんですけど、竹内さんの今回の件で思ったのがまさにその感想だった。岩井俊二さんの「ラストレター」もそうだったけど、自殺があると「ああ、またか。安直だな」と思いがちだけど、年間で交通事故死の6倍ある(確か。交通事故死が5千人で自殺者が3万人、と書こうとして調べたら交通事故死が3千人で自殺者が2万人だった。7倍じゃないか)ケースなので、交通事故死よりよくある悲劇です。

そんなこんなで今日も隣に「死」を横に置きながら、眠るとします。昨日同様「どうしようもなかったのかなぁ」と胃を痛めながらになるでしょうが。

竹内さん、安らかにお休みください。