スパイラル・ライフ私論

前書き

これは2003年の秋(だったと思う、たぶん)にボクがHPを立ち上げようとして挫折し、そのときにお蔵入りになった文章である。とはいえ、そんなおおげさでもない小品(というのもおこがましい気がする)である。
そもそもその文章は、このブログが軌道に乗ったので(ありがとうございます)某サイトにリンク依頼をしていたものであるが、そのサイトが更新を停止する状況にいたってしまったため、またも公開の機会を逸するところであった。しかしこのたびSLについての議論が盛り上がるに至り、「いまだろう!」と思った次第である。しかしいかんせん1年以上前の文章なので、公開にあたっては「何の目的で書かれたか」と明記しなければいけない、と考えた。
ま、結局はある1人の人間が高校2年から大学1年までの間をSLを聴きながら過ごした、ただそれだけのことである。

本文

第1回 スパイラル・ライフ
活動期間:1993−1996
メンバー:車谷浩司(1971/8/29, vo, g, md)
      石田小吉(1968/4/12, vo, g, key, prog.)
最初は自分が最も得意とするところから始めようと思う。ボクがものすごく好きで、活動が終わってしまっていて、おまけにその活動期間が短かったバンド。これなら追記もおそらく必要ないだろうし、間違いもなく書けるはずだ。ということで、スパイラル・ライフ(Spiral Life。以下SL)について語ろうと思う。
SLが世に出たのは1993年9月のことである。L⇔Rが立ち上げたウィッツ・レーベルからのデビューであった。ボクはL⇔Rは好きだったが、車谷がいたBAKUというバンドはどうでも良かった。つまり、好きでもなければ特に嫌悪感を感じることもなかった。ただ、音楽的には違う方向をやるみたいだった。「いい音楽をやります。10年か15年ぐらい続きそうな気がするんですよ」と当時車谷は語っていた。石田も何か語っていたかもしれないが、ボクは覚えていない。世間的にも「元BAKUの車谷が新しくグループを立ち上げた」という見方が一般的だったのだ。2人組は基本的に2つのパターンに分類される。全く対等か、優劣あるいは主従関係があるかだ。SLについては後者だと思っていた。その後、前者であることが判ってくるのであるが。
「ANOTHER DAY, ANOTHER NIGHT」が流れてきた。いい曲だな、とは思ったが、どんな曲か忘れるようにした。当時は高校2年、月に何枚もCDを買える身分でもなかったのだ。そうしてSLはデビューした。
その冬、SLは「GAME OVER」をリリースした。良過ぎた。モンキー・マジックにかかったボクは当時珍しかったマキシ・シングルを買った。3曲目の「裸足の100マイル」もすごくいい曲。こうして高校2年のSLはライトな感じで終わった。
新学期、SLはクソ名曲を世に送り出した。「20TH CENTURY FLIGHT−光の彼方に−」。発売前にラジオから流れてきて、すごい曲だと思った。発売日にシングルを買ったのは言うまでもない。ちなみにこの曲はオリコン初登場40位だったと思う。同じとき、ボクが小学生の時から好きだったTMN(小学校のときはTMネットワーク)が「終了」した。悲しむべき出来事だった。しかしSLのために小遣いを使えるようになることも意味していた。名実ともにSLを好きになっていい時期がやってきたのだ。
夏。SLはまたもクソ名曲を世に送り出した。「プリーズ・プリーズ・ミスター・スカイ」。正式なタイトルは少し長いのであえてこのような表記をさせていただく。この曲と「光の彼方に」はSLのベスト5を客観的に選ぶとすれば、まず落とせない作品ではないかと思う。このシングルであるが、直後にニュー・アルバム「スパイラル・ムーヴ」のリリースがあるため、買っていない。ラジオから録音したテープを聴きながらアルバムの発売を待ちわびた10日間は、とても長かった。
夏休みになると同時に、アルバムが出た。アルバムの出た日に友達から女の子を紹介され、デートをした。その道すがら買った。すごくいいアルバムだった。名曲と呼ばれているものがたくさん収録されている。「ホエアー・ユー・フロム?ホエアー・ユー・ゴーイング?」がスマッシング・パンプキンズスマパン)の「トゥデイ」に激似であることを知ったのは21世紀に入ってからだし(当時はグランジの良さなんか判らなかった)、「フォトグラフ」なんて哀しすぎるし美しすぎる。「ブルーラバーボール」も佳曲で、大学に入ってマンドリンを始めたのはこの曲の影響抜きに語れない。テレビをテーマに持ってきて、12チャンネル好き放題やった(当時2人はそう語っていた)これは名盤である。惜しむらくは、初回盤がなかったことかな(?)2人もびっくりのオリコン初登場10位。
個人的な話で申し訳ないが、この高3の夏は自分の人生でいまだに最高の夏である。SLではじまり、かの香織の「青い地球はてのひら」に落涙し、ミスチルの「Atomic Heart」で終わった。受験勉強や運動会の準備で忙しかったはずであるが、そんなことはどうでも良かった。精神的に充実していたのだ。最高の夏ではないか!
夏が終わろうとする頃、ウィッツ・レーベルのアーティストがビートルズをカヴァーしたアルバムを発表した。ただしSLはビートルズをカヴァーする気にはなれなかったらしく、ジングルとして2曲、あとビートルズ来日のときに尾藤イサオ内田裕也が唄った「ウェルカム・ビートルズ」、ピーター&ゴードンのレノン=マッカートニーによって書かれた「愛なき世界」の計4曲が収録されていた。「愛なき世界」はよくできていた。さすがSLである。
そして秋がやってきた。新譜ラッシュも終わりを告げた。さてそろそろ「ファーザー・アロング」を買う時期だな、と思った。しかし1年以上前に出たアルバムの初回盤はいくら売れてないグループとはいえあるのか?結局11軒目で発見した。ちょっと色彩的に霧がかかっているなぁ、と思った。ビートニク(1950年代のアメリカ文化)一辺倒で書いたらしいが、ボクはイギリスっぽいなぁといまだに思っている。「ラズベリー・ベル」は超名曲。「ターン・ターン・ターン」は淡々とした進行の中、急に起伏のあるメロディが出てくるあまりにも哀しくこれまた名曲。タイトル曲「ファーザー・アロング」は「こんなちっぽけなことで止まってられない。突き抜けるんだ!」と解釈、センター試験の前に歌詞を書き写し、試験会場に持っていってその詩の世界を噛みしめた。もっと遠くへ行きたかったのだ。
秋が深まる中、SLはシングルをリリースした。「Dream All Day」、クリスマス・ソングである。彼らはこの曲に対して、「山下達郎は超えられなかったが、稲垣潤一は超えたと思う」とコメントしていた。また、クリスマス・ソングネオアコとは安直だと自嘲していたような気もするが、優れたポップ・ソングであることは間違いないし、3曲入り1000円というのも良心的な価格設定だった。オリコン(たしか)29位。
1995年になった。春、SLはFOGGS(freaks of go go spectators。ソングライティング時の2人のペンネーム)名義でミニ・アルバム「FOGGS」を出した。大々的に弦がフィーチャーされ、何曲かが生まれ変わっていた。そんな中、ひっそり収録されていた「GARDEN」。この曲が後に大きな役割を果たすことになるとは、ボクは全く予想がつかなかった。
ボクは大学に合格した。その5月、SLから新曲が届いた。「MAYBE TRUE」であるが、過去の傑作群に比べると一枚落ちる印象がある。しかし過去のはすご過ぎただけで、これ自体も良い曲である。マンドリンピッキングがいい味を出している。
6月、SLとしては結果的に最後のオリジナル・アルバム「FLOURISH」がリリースされた。フリーサンプルのカセットやガムが出回るなど、かなり販促も力が入っていたようだ。このアルバムであるが、最初はやはり「一枚落ちるなぁ」という印象だった。だんだん進んでいくにつれて間延びしているように感じる。しかし時が経つにつれて、その間延びと感じられた部分も愛せるようになってきた。このアルバムについては1曲1曲云々というよりトータルで見る(聴く?)べきだと思う。ギター・アルバムと呼んでいるだけあって、統一感と世界観は圧倒的である。ただ、車谷と石田の共同作業が激減しており、終了を感じさせる気がしなくもない。
7月、SLが福岡に来た。ツアーである。友達と一緒に行ったのだが、あまり覚えてない。全部唄ったこと、便器がプリントされたTシャツ。おそらくセットリストを見ても記憶は甦らないのではないかと思う。「フォトグラフ」の記憶だけはある。「anyway, i try to send you off with smile」という一節がとても好きなのだ。一緒に唄いながらゾクゾクした。
8月、「GARDEN」がシングル・カットされた。アルバムと終わり方が少し違うだけであるが、ボクは非常に満足していた。楽曲のささいな違いで喜ぶ―もう立派にコアなファンになっていた。全英詞であるが、もっともカラオケで唄った回数の多い曲ではないかと思う。

そしてSLのリリースは数ヶ月なく、翌年の3月の企画アルバム「SELL OUT」まで待たなければならず、それが最後のリリースとなってしまった。2人の個性が別の方を向いており、散漫な印象のあるアルバムである。ただしアルバム未収録だった曲がヴァージョン違いで収録されており、それぞれのクオリティは言わずもがなである。
1996年4月。車谷がAIRとしてソロで活動を開始、SLは活動休止となる。その活動が再開されることはおそらくないだろう。一方の石田は7月にベスト盤「S.L.G.H.」を編集したのち、9月にSCUDELIA ELECTROという3人組で再デビューした。「S.L.G.H.」であるが、「プリーズ・プリーズ・ミスター・スカイ」が落選するという不可解な選曲であるが、「ターン・ターン・ターン」「MAYBE TRUE」のライヴ・ヴァージョンが聴ける。後にレコード会社のポリスターがSLのベスト盤を作ったが、これまた「光の彼方に」を落選させるなどもっと不可解な選曲である。よってボクはポリスターのベスト盤を持っていない。


以上、個人的にSLを振り返ってみた。そもそもSLは「良い音楽を作り奏でよう」を標榜し、それを実現したのだ。もし単純に「良いポップ・ソングが、良い曲が聴きたい」と思うのならばSLを聴いて頂きたい。きっと思うはずだ、「悪くない」と。

後書き

良く書けているな、と昔の自分に感心します。しかし幾分独りよがりが過ぎる点が多すぎます、ご容赦ください。