Scudelia Electroの解散まであと2日

そりゃあライヴチケットを取る(厳密には取ってもらった)、飛行機のチケットを取るぐらいの努力はしたけど、心構えがまったくできてない。想いの丈をぶつけようにもまとまってない。まとめようとすると「コラムを書きなさい」と怒られそうな気がする。
とにかくライヴに行く前に少しはまとめておくべきだと思った。ボクとスクーデリアの関係について。
ボクはイシダの活動にはSpiral Lifeからの付き合いのため、スクーデリア・エレクトロは始まりから知っていた。デビューシングル「TRUTH」が出たときは大学2年。この曲はあまり好きではない*1。翌年の1stAl「SCUDELIA ELECTRO」(1997)は素晴らしい出来で、特に1曲目から4曲目までは一気に聴け、惹きつけられる。
その熱狂は「Wine Chicken & Music」(1998)で醒まされる。1年ぐらい休んで「traek」「FLAMINGO」(ともに1999)とやけに躁になる。レコード会社との契約との問題かどうかは判らないけど、また休養。インディーズで「5er!(ファイヴァー!)」(2001)という好盤を放つ。シングル3部作の曲が優れていて、なおかつ配置の良さもあってエレポップとロックの融合に新たな可能性を見い出す。そしてそれは「ELECTROCKS」(2003)で円熟の域に達する。しかし今年解散を発表する。21世紀における2作については完全なチームワークによる傑作だと思っていたのに、そのときにはメンバー間のギクシャクはかなりひどいものだったらしい。
…とこう書いていると1stの偉大さがひしひしと判る。「1stはそのときのストックから最良のものを選んで作るのだから、当然最高傑作になる。だからバンド名を冠した」というイシダの当時のコメント(うろ憶えだけど)は、今思うとかなり達観していた。あさって何と言おう。「最高のライヴだったよ、いままでありがとう」で終わってしまうのだろうか。言葉以上の感動を胸に刻みながら。

*1:理由は2つある。1つは歌詞の理解ができないことが挙げられる。「僕は祈り捧げる」と普遍的なことを言っておきながら「5次元」、つまりありえない世界ですというひどいオチがつくことが端的であろう。もう1つは2人組ソロ活動の宿命の問題なのだが、後発のイシダが前発の車谷とはまったく違う世界観を打ち出す必要に迫られたことがある。車谷のギターサウンド、ハイスピードと別の機軸を打ち出すためエレポップ、バラードにしなければならなかったという政治的な意図を感じる、というのは穿ち過ぎか