DCPRG、活動終了

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ボクがDCPRGを知ったのは2003年の秋です。当時はトミフェブがヒット曲を連発していた頃でした。そこでそれ以前から80年代ポップを範とするSPANK HAPPYというグループをやっている菊地成孔という人がいて、その人の別の活動としてジャズバンドをやっているというのを知りました。それがデートコースペンタゴン・ロイヤルガーデンでした。
ボクはジャズというのを聴く機会があまりなく、村上春樹によって書かれていても「よく判らないな」と思っていました。しかし聴きたいとは思っていて、要するに取っ掛かりがなかった訳です。
そして試しに買ってみた「REPORT FROM IRON MOUNTAIN(アイアンマウンテン報告)」。いままで聴いたことのない音楽でした。強いて言えば邦人マンドリン作曲家の作品なんですけど、こんな例え言ったところで判る人少ないので(苦笑)、本当に普通に生きていたら耳にすることのない音楽でした。
それからは「構造と力」ともども聴き込み、ライヴがすごいという噂(つまりはインターネットの素人レヴューだ)を聞いて「ウラン」というDVDを注文したりViewsicが観れる友達にライヴ生中継を録画してもらったりしました。福岡に来ないことが判明して、広島まで観に行きました。
DCPRGの活動に過不足感はないと思います。フリッパーズ・ギターとかスパイラル・ライフとか、ボクの好きだったバンドでアルバム3枚で活動を終えているものがあるんですけど、どう考えても4枚目が想像つかないんですよ。菊地さんが言ってるけど、終わりとしてピークだろうと思います。これ以上やっても馴れ合いというかだれ合いになってしまったかもしれない。
DCPRGはボクがはじめて社会人になってから好きになったバンドで、友達にも「最近好きでさ。なんかかっこいいんだ」と薦めてきたのだけど、なかなか首肯してくれる人はいませんでした。ところが最後のライヴで一緒に行ってくれる人がいてくれた、というのは本当に良かったと思います。自分にとってもこのタイミングでの幕引きは最高でした。14人のみなさん、おつかれさまでした、ありがとうございました。