山下和仁「展覧会の絵&火の鳥」についての私見

はじめに

ボクが「展覧会の絵」というクラシックの曲を知ったのは中学生のときです。
TMNが「RHYTHM RED」のツアーに出ていた
小室哲哉のプレイに対して「キース・エマーソンのようだ」と評されていた
→「キース・エマーソンって誰ですか?」
→代表作EL&P展覧会の絵(紙ジャケット仕様)
というのがきっかけでした。
時は流れてボクは大学に入って、サークルでクラシックを演奏することになりました。同じ曲であっても、演奏者によって捉え方や感じ方が全然違う。そのことを勉強するためにボクは「展覧会の絵」をマテリアルに選びました。もちろん曲の魅力があったからです。結局家には

という非常に多彩な音源が家のCD棚に並びました。「追跡 ムソルグスキー『展覧会の絵』」という展覧会の絵を研究した本があるのですが、これも百道の福岡市立図書館に行って読みました。

展覧会の絵」についてのスクリプト

表題でウィキペディアにリンクを張ったのでそれを参照していただけるといいのですが、個人的な見解を補足していきたいと思います。

展覧会の絵のオケ版というのはラヴェル編曲のものが基本となっています。しかしこれに反する意見というのも聞かれます。5つあるはずの「プロムナード」が4つしかないことや、あまりに華麗すぎてロシア的な荒々しさが感じられない、などです。ただ前者についてはラヴェルが楽譜を起こしたのがリムスキー=コルサコフの訂正版を基にしたためであるようだし、後者についてはそれがラヴェルの味だから仕方なく、むしろ歓迎すべきものでしょう。ラヴェルが気に食わなければ手前が編曲しろ、ってもんです(だから別編曲も結構ある)。
またリムスキー=コルサコフの訂正版ですけど、結構その他いろいろ手を加えているようで、「ビドロ」を原典がffから入っているのに対してppで入れてます。これについてはリムスキー=コルサコフの致命的な間違いだったようです。もともと「Bydlo」というのはポーランドの牛車という意味なのですが、「虐げられた人々」という意味も含んでいるそうです。このダブル・ミーニングであるべきはずがppで入ることによって「牛車がやってきて、通り過ぎる」だけの曲になってしまう。ショルティ曰く「ppで入るのは間違いだけど、そしたらラヴェルの編曲をすべて台無しにしてしまう。だから楽譜どおりに演奏するしかないんだ」とのことです。あと「サミュエル・ゴールデンベルクとシュミイレ」の終わり4音の音階が異なってたりしてます。
そんなことを差し置いても「プロムナード」の旋律はよく知られています。これが4分の5→4分の6と変拍子で進行しているのがすごいところです。

ようやく本題

10年前にボクが「展覧会の絵」を掘り下げているときから「かーらさん、山下和仁のギター版すごいですよ、1人で弾き倒してるんですから」という後輩のアドヴァイスは聞いていましたが、どうもギターに興味が出なくって。ただひょんなことからYouTubeの動画を見つけてしまいました(当時見たのは削除されてしまった。だからリンク先も削除される可能性は高い)。なんかバナナマンの日村みたいな人(苦笑)がバリバリ弾いてて、とても驚きました。演奏テクニックがすごいのだけど、技術のために曲があるのではなくて、曲が弾きたいから技術が身についたという山下さんの情熱が伝わってきて、感動しました。で、早速CDを買いました。
この山下さんがギター用に(てゆーかこの人以外弾けない)編曲したものはラヴェルの編曲を底本にしているようです。しかしこの演奏のすごいのはギターでやったということでしょう。撥弦楽器は自らが弦を弾く(はじく)ことによって音を出すため、感情が伝わりやすい楽器だと言われていますが、この演奏はそれが如実に現れていると思います。おかげですばらしいものが観れました。
てな訳で、「展覧会の絵」の研究というのはライフワークみたいなもの(それにしては気まぐれで杜撰だが)なので、また書く機会があるかもしれません。アシュケナージ編曲版とか手に入れたらまた書くかもしれませんので、そのときはお付き合いをお願いします。