岩波新書「人名用漢字の戦後史 (岩波新書 新赤版 (957))」についての私見

競馬の社台グループに吉田勝己さんという人がいます。クロフネディープインパクトを生産したノーザンファームのトップです。その人の名づけのとき、本当は「勝哉」にしたかったけど漢字の制限ができてしまったため(ちなみに兄は「照哉」、父は「善哉」)「勝己」になってしまった、ということらしいです。それが本書を読むようになったきっかけです。
戦前というのは漢字が難解で、国語そのものが庶民のものではなかった。ところが戦争が終わって、国語を誰でも理解できるものにしなければならない。そのために当用漢字ができて、それに準じる形で人名についても制限がかかってしまった。当初は当用漢字しか認められなかったのが政治的なやりとりがあり(この内幕も面白い)、人名用漢字が制定され、それが拡充されていき、現在(常用漢字人名用漢字で3000文字近く)に至ります。
メールやブログの普及などに多くの(てゆーかほとんどの)日本人が文字で自分を表現するようになり、日本語の豊かさ、漢字の多用さを楽しむようになった。だからこれからも使える漢字は増えていくだろう、とのことです。それによって「肝腎」が「肝心」になっていまでは「肝腎」も見直されているし、「突」も「てん」を付けたものが人名に使えるようになっている*1(「犬」が「穴」から出てくるから「突然」なのだ)。
そんなこんなでいろいろ考えることもできて良かったです。

*1:現在漢字に「ヽ」が付くか付かないかの基準として音読みで「ハ行」「バ行」であれば付き、それ以外では付かないというものがある。付くものとして「博」「簿」「補」などがあり、付かないものとして「専」「穂」(音読みは「スイ」)などがある。